What's the matter? No matter - 仏教ブログ

個人的趣味で仏教を勉強するためのブログです。ブログ主は菩提寺を除いて特定の宗教団体と関わりを持っていません。

説一切有部における戯論(プラパンチャ)

「問う。戯論(プラパンチャ)には渇愛戯論(tṛṣṇāprapañca)と見戯論(dṛṣṭiprapañca)の二種あるが、何の無量心が何の戯論の対治となるのか?」

 

(問戲論有二種。一愛戲論。二見戲論。何無量。對治何戲論耶。)

 

「答える。無量心(apramāṇya)は諸煩悩(kleśāḥ)を断つことはできず、ただ〔煩悩を〕鎮伏するだけか、あるいは〔煩悩が〕転起することから遠ざけるだけである。〔鎮伏等の作用の故に、〕一時的には四種〔の無量心〕すべてが渇愛の対治であり、一時的には四種〔の無量心〕すべてが悪見の対治である。

 

もし四種の近対治によって語るならば、見行者(dṛṣṭicarita)〔の性質ある者〕は、瞋恚が多いゆえに、慈と悲は、見戯論にとっての近対治(=対治に近しいもの)というべきであり、愛行者(tṛṣṇācarita)〔の性質ある者〕は、愛着(anubandha)が多いゆえに、喜と捨は、渇愛戯論にとっての近対治というべきである。

 

ある人〔々〕は、慈と悲が渇愛戯論の近対治となると説き、喜と捨が見戯論の近対治となると説く。」

 

(答無量不能斷諸煩惱。但能制伏。或令轉遠。有時四種皆對治愛。有時四種皆對治見。若依四種近對治說。應言慈悲近對治見戲論。以見行者多瞋恚故。喜捨近對治愛戲論。以愛行者多親附故。有作是說。慈悲近對治愛戲論。喜捨近對治見戲論。)